2009年05月31日
イシュワラ・プラニダーナ【神への服従】(目に見えないものに対して捧げる)
ニヤマ【歓戒】のラスト・ワン。
イシュワラ・プラニダーナ【神への服従】(目に見えないものに対して捧げる)
「神」と書いてしまうと宗教的な感じになってしまうが、
ヨガ・スートラを読んでみると、そうでもないことが分かる。
イシュラワ・プラニダーナは「献身の生活」「自己放棄」と書かれていて
それはすべてを<主>あるいは人類に捧げる生活であるということだ。
スートラは続く。
では、神は、主はどこにいるのか?
神はわれわれが何かを捧げるのを、どこで座って待っているのか?
神は世界を御自身により作られた。
世界そのものが神なのだ。
だから「最大限、世界に奉仕するのだ」という思いをもってするならば
それはどんなことだっていい。
どんな物でも、ぞんざいに扱えば苦痛を覚える。
何にでも優しく、ヨーガのタッチで触れよう。
スプーンでもフォークでもお皿でも。
ヨガは調和する、一体化する、といった意味がある。
8支則の最後は「サマディ【三昧】…至高の存在との一体化」であり
そこに通じる“道”がイシュワラ・プラニダーナである。
“完全な献身”
それは“エゴ【自我】”の対極。
けっして“自暴自棄”ではなく、自分を捨てるのではなく、
自分を大切にした上で、献身する。
これは当たり前の話で、
献身するためには、それなりのチカラ・能力が必要だ。
“ただそこにいる”という献身だって、その人が健康であるからできることだ。
(病に伏している人は、人の傍にいることもできない)
(亡くなった人は、残した人のココロの中でしか存在できない)
世界に、社会に、人類に、愛する人に、献身するために。
自分自身が在るべき姿、在りたい姿になろう。
昨日より強く。
そう思い続けている、今日にしよう。
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