2009年05月24日
スワディヤーヤ【学習する】…感覚や想像ではなく、本や資料から学び確認する
最近、職場の研修の一環として、スタッフみんなにちょっとした宿題を実施した。
基本学科研修資料があり、すべてのスタッフにはそれを渡している。
その資料のそれぞれの項目の最後にある問題をまとめたものを渡して宿題とした。
すべて各項目の確認問題なので、資料を見れば分かる。
だから調べることをしてもらおうということで実施した。
で、みんなにやらせるだけでは不公平なので、自分でも行なってみた。
まずは資料を見ないでどれだけ答えられるか試してみたが、
まー難しいこと。
基本学科とはいえ、わりと難題もあるもんだ。
…正直、現場では使わない(知らなくて良い)知識もあるもんだから
すべて解答できなければならないと思うが、知ってるに越したことはないだろう。
その後に資料を見て答えてみたが、わりとボリューミーだったもんで時間はかかったし、
問題によっては、ただ資料を写すだけでは答えにならない問題もあり、
なかなか手ごたえがあった。
で、なにを感じたかというと、
自分なりに知識はあると思うし、それで現場で不自由を感じたことはなかったが
本なり資料なり明確に書かれているものを見ることで、自分の知識が完全なわけでなく
感覚や想像に任せていたり、あいまいところをあいまいなままで放っておいたな…
と気づき反省したわけですわ。
スワディヤーヤはヨガ・スートラでは「霊的な書物を研究すること」と訳されている。
単なる書物の勉強、つまり冒頭で書いた研修資料を読んで勉強するとは
違う意味なんだろうけど。
聖典すなわちヨガ・スートラを研究したり、ヨガのひとつである「マントラ」を唱えたり、
だれかに手ほどきを受けたサーダナ(修行)…それがどんなものであっても…を規則的に行うことだったり、
を、続けるとそれぞれに結びついた神霊のビジョンを得られるそうだ。
「心霊」でなく「神霊」ね。怖くはないの。
それは人の形かもしれないし、光や音で現れるかもしれないそうだ。
悟り、なんだろう。きっと。
勉強だって、ある意味修行だろう。
それを続けることで(続けることは大変だから、なおのこと)
単なる知識ではない、神霊のビジョンを得られるってとこまで考えると
単なる勉強も、修行であり、ヨギーへの道なんだ。
そう思う姿勢が大切!
…ってことにしておこう。
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