2009年05月13日
タパス【苦行】〜熱し、打ち、冷やす。それを繰り返すことで鋼は折れぬ日本刀となる〜
タパス【苦行】。ニヤマ【歓戒】の3つめ。
タパス「苦行」と訳されるが、直接的な本来の意味は「焼くこと」である。
タパスの考え方は難しいと思う。
ツライこと、苦しいことは、傷めることに繋がるんじゃあないのか?
ヤマ【禁戒】の1.アヒムサ【非暴力】と矛盾してしまうんじゃあないか?
自分の言葉では難しいので、いくつかヨガ・スートラから抜き出してみる。
----------
・ヨギーは「断食」というタパスにより、余分な脂肪とともに
カラダに蓄積された毒を焼く。
心のタパスによって、すべての古い印象を焼く。
・「焼く」ときには何かしらの熱と痛みがある。
つまりわれわれは苦しみを味わう。
したがってタパスは、苦痛を受け入れることでもある。
・心を清浄で堅固にするためには、われわれは苦しみを、痛みを、
貧困を受け入れなければならない。
そして苦しみを受け入れると同時に他者に幸いをもたらすならば、
その利はいっそう大である。
だから他者の苦痛を受け入れよ。
われわれは苦痛を受け入れても何も失わない。
苦痛が大きければ大きいほど、われわれの得るものは大きい。
そして何の苦痛もなかったら、得るものは何もない。
われわれはそれから逃げるべきではない。
・誰かがわれわれを苦しめても、それはわれわれを憎んでいるからではなく、
われわれ自身の浄化を助けてくれているのだと考えよ。
・そこのところを理解して受け入れることができたら、われわれはけっして
われわれを罵倒したり叱責したり侮辱したりする人を咎めないだろう。
もし美辞を喜び、侮辱に腹立つのならば、それはまだわれわれの心が強くないからだ。
・侮辱の一言がわれわれの弱さを教えてくれる。
・物事をこのように扱うには、本当の勇気と強さが要る。
・心の強さはタパーシャ(タパス)によって、苦しみを受け入れることによって
もたらされる。
その時の苦しみはもはや苦しみではなく喜びである。
なぜならわれわれはその利を知っているからだ。
・その素晴らしい例が、すさまじい苦痛にもかかわらず子供を産むことに
非常に大きな喜びを感じる母親である。
彼女はけっして苦痛を避けようとはしない。
むしろ彼女は、それは後に来る大きな喜びの代価なのだと知って、
それを迎え入れる。
----------
…タパスの項を、ほぼまる写ししてしまった感がある。
つまり、こういうことだ。
折れぬ、曲がらぬとされている日本刀は、幾重にも重ねた鉄鋼を
激しい炎で焼き、煌々と熱せられた状態で鎚で打たれ、水で一気に冷やされ
それを何度も繰り返し繰り返し、それこそ壮大な苦しみを経て、
強く、しなやかで、美しい刀となる。
もはやそれは芸術である。
タパスとは、そういうことだ。
けっしてアヒムサ【非暴力】は破らない。
なぜならタパス【苦行】の先には創造が、成長が、進化が、利が、
幸せが待っているのだから。
日々、ツライことはある。
悩まない人はいない。
いつだって葛藤している。
でも、それらがタパスであったならば。
それを自分の糧に出来たならば。
それを喜んで受け入れられたならば。
人は強くしなやかな日本刀のように輝けるのではないだろうか。
その強さは、けっして人を傷つけるものではない。
人を守り、幸せにできるものなはずだ。
この記事へのコメント
コメントを書く







