2009年11月14日
今日と昨日と明日にできること…他力本願が、しょーもない感じだ。
昨日やったから、今日はいい。とか、
明日やるから、今日はいい。とか、
…しょーもない。
同義語で、
あとでやるから、今はいい。
優先順位が先のがあればいいが、そう無いだろ。
ほんと、しょーもない。
あー。なかなかアガらないなー。
今からパーソナルトレーニングのセミナーに行くが、良い刺激をもらえるといいな。
って。
他力本願になってるところが、しょーもない。
2009年11月13日
休養とは、休んで、養うことだ。…ただ“休む”だけではカラダは萎えてしまう。
先日のオフは、ほぼダラダラ過ごしてしまった。
なんとなく掃除をしたり、ちょっとした事務作業をしたり、
なんとなく考え事などはしていたが、けっして生産的なものではなかった。
けっして良い休養ではなかった。
休養の取り方が下手なんだな。
せっかく先週は貴重な経験を増やすことができていたのに
悪いほうにリセットされてしまった気分だ。
人間は(と、ひとくくりにするのは言い訳かもだが)もともと怠惰な性質を持っているものだから
いったん怠けると、流れ・やる気・スピード感というたぐいのものを取り戻すのに時間が掛かる。
ええい!迷ったらGOだッ!覚悟はいいか?
--------------------
同じテーマで。
ただカラダを休ませるだけでは、ココロが回復しない場合もある。
逆に、カラダを動かすことでカラダとココロが養われる=休養になることは、現実にある。
バランスが難しい。
永遠のテーマだな。休養。
もっと言うと、運動と休養と栄養のバランス。
この3点バランスが完璧に取れれば、人間の機能は最大限に発揮されるだろう。
きっと。
--------------------
次の一文は、ふと思いついたこと。防備録的に。
「人は多様性を持ちながら集中することで活性化される」
このことに関して、また書く日が来る、かもしれない。
2009年11月10日
ワンピースって、あらためて面白いな…第563話「心臓一つ,人間一人」
まだ今週号のジャンプを読んでないのだが、YouTubeでモノすごく素晴らしくまとめた動画を発見した。
本誌で読むより、ある意味迫力がある!
YouTube
今回の内容は、真剣に秀逸だと思う。
今までのジャンプ漫画だったら、強い能力がドーンと出てきて
グワーッとパワーで押し切るって流れが多いのに、
このクライマックスと言える場面で“能力以外の駆け引き”が出てくるなんて!
知略・戦略をここまで効果的に使ってくるなんて、デス・ノートもびっくりだ!
キャラクターが多いし戦闘シーンだから絵のボリュームのさることながら
ストーリー展開・演出にもそうとうチカラが入っている。
ジャンプにしては、ワンピースにしては休載が多いが、十分許せる内容だ。
再来週が楽しみだ。
てゆーか、YouTubeでこんな動画を発見できてことがかなり嬉しかったりするー。
2009年11月09日
関わろう。遠慮している場合じゃあなかった。…自分の役割を果たさなきゃあ、ダメだ。
体調を崩すときっていうのは、必ず前兆があるもんだ。
必ず原因があるもんだ。
わかりにくいことが多い。
自分のことだって分かりにくいことが多い。
他人のこととなれば余計に分からない。
だが、ちょっとした行動、言動の端々に前兆は、見える(診える)。
さすがにね。経験から、普通の人よりは“そういうの”に敏感だ。
他人を心配することは、ともすれば迷惑になるものだ。
心配されることは“子供扱い”と勘違いされやすい。
子供じゃないんだから。と、
相手を尊重して言うこともあるだろうし、他人事として言うこともあるだろう。
「その人」のことは心配はしてたし一応アドバイスはしていた。
ただ、カラダをケアをする約束をしつつも忙しくてその予定がなくなってしまった。
その翌週、その人は倒れてしまった。
自分を過信するわけではないが、それでもカラダのケアをして
少なくとも身体的は疲労を取り除いていれば、倒れるほどまでは行かなかったはずだ。
その重要性に気づいていたはずなのに、見逃していた。
そのことが、本当に申し訳ない。
人は、関わらなければダメなんだ。
個人が尊重させる時代。
プライベートにあまり踏み込むのを良しとしない時代。
そんな距離感が、孤独感が、時に人を蝕む。
自分には何ができたのだ。
自分の役割はなんだ。
自分の役割に遠慮してはだめだ。
億劫になっている場合じゃあ、ない。
役割を果たす。
そのための関わりを持とう。
たとえ誤解を生んだとしても、勇気を持って。信念を持って。
人は、人と関わり合って生きているんだから。
2009年11月06日
ほんの数分いっしょにいただけで優しい幸せな気持ちになるのは
恋なのか。
愛なのか。
情なのか。
思い込み。
勘違い。
恋愛対象。
友人として。
人として。
ま。
なんでもいい。
この優しい気持ちの余韻に浸れるのが、最高に幸せだ。
2009年11月03日
充実したオフだった…滝・ほうとう・ドライブ・湖・買い物
今日はオフなので、以前から計画していた滝見物へ行った。
計画といっても、ネットで近場の滝とその行き方を調べた程度だが。
ひさびさの火曜・祝日のオフだったため、普段なかなか休みの合わない
一般企業に勤めている小学校からの腐れ縁の男と車で出発。
西多摩地区の檜原村というところにある「払沢の滝」(ほっさわ、と読む)へ行った。
奥多摩というと遠いイメージがあったが、行ってみれば2時間弱。
そんなに遠いものではない。
そしてこの「払沢の滝」が駐車場から徒歩15分という、えらいお手軽なところにあった。
それでも、昨日までとは打って変わって良い天気に恵まれた滝と小川と森と山の
爽やかさと癒しを十分にいただけて、とても気持ちよかった。
「払沢の滝」

ドライブをしながら、それぞれが持ち寄ったCDを聞きながらいろんな話をしていた。
先日観たMJの話もしたし、昔の話から近況まで。
小学生からの腐れ縁の彼はわりと自分と似ているところがあって、
最近は年に1,2回しか会わないのだが、それでも久しぶりという感覚がなく
くだらない話(9割)からまじめな話(1割)といろいろ話せる貴重な存在だ。
彼はこのブログを知らないので、こっそりここで感謝の気持ちを言っておこう。
帰りはさらに山を越えるルートを走った。
途中、いくつか“ほうとう”屋さんの看板が出ていた。
こういうドライブルートだと、走っている人から見やすい・印象に残る看板は大切だ。
特別な看板ではなかったが、木製でやさしい感じの看板だった。
きっとおいしいだろうな、と思わせる看板が、店までに道に3つくらいあり、
実際に店が見えてくることには、すっかり「ほうとう」を食べたくなる気持ちにさせている。
というわけで、まんまと(あえて!)乗せられ店に入った。
そのころには携帯の電池が切れていて写真は撮れなかったが、そこそこうまかった。
(そこそこ、だった)
そして、奥多摩の山々から奥多摩湖をみて
ぐるっとまわって帰ってきた。
紅葉には早すぎる時期だが、その分空いていてよかったのかもしれない。
帰り道がmrtoが通っていた大学の街に偶然近づいたので、思い出して急きょ買い物。
明日は職場の人の結婚披露宴があるので、スーツに合うコートを買った。
もう買うものは決めてあったし、試着のイメージもGOODだったのでサクッと済ませた。
そんなわけで。
今日は1日でいろいろ出来た、充実を感じた日だった。
2009年11月01日
エキサイティングな経験が続いている …勢いがあるのか。たまたま偶然なのか。たとえ偶然でも、この流れを続けていきたい。
昨日は勤務が早い時間に変更になったため、勤務終了終に
いつもは勤務中なので参加できないボクシングのクラスに参加した。
音に合わせるボクササイズではなく、本当にスパーリングやサンドバッグ打ちをするボクシング。
スパーリングはもちろんガチガチの打ち合いではないが、緊張感をもった時間。
そのすぐ後にミットを持ってもらってミット打ち。
これがけっこうハード…ッ。
それぞれ3分ずつだったが、十分に息が上がり汗だくだった。
その後サンドバッグを30秒強打・30秒連打を12セット12分間。
最後は気合だけだった。
日常生活では「本気で何かを殴る」という経験はない。
てゆーか、したくもない。
だから、練習であろうとも「本気で殴る」という経験をすることは
かなりエキサイティングなことなんだ。
とても疲れてだるくなったが、気持ちよかったし楽しかった。
…って感想を言ったら、ドMと言われた。
たしかに、格闘技はドМでなければやっていけないところもあるかなー。
そして今日は、レギュラーでやってる格闘技系のレッスンをダブルイントラでやった。
別曜日でデビューするスタッフの前哨戦として、彼女とふたりでレッスンをした。
ところが、トラブル発生!
インカムマイクの音が出ない!
仕方なくハンドマイクでやるも、ウォーミングアップだけで断念。
ふたりで交互にインカム本体を渡しあってやった。
(その後チェックしたらふつうに音が出るし。なぜだ。ホント災難だ)
まあ、ウォーミングアップだけとはいえ、初めてハンドマイクでレッスンをやった経験は良かったかも。
(そして無理がある、ということが学べた…)
勤務の後には、某結婚式2次会で披露する出し物の練習をした。
うっかりはしゃいでしまって、ここでも汗だく。
ただ、盛り上がる気配を感じてテンションが上がる。
うーん。楽しみ。
ところで、筋肉痛がまだ来ない。
昨日は相当ハードに動いたはずなのに…。
明日か…。あるいは、明後日か…ッ!!
--------------------
先日「転換期が近いのを感じる」なんていうタイトルの日記を書いたが、
それはいまだに続いている。
というか、とても大きな流れを感じる。
偶然かもしれない。
しかし偶然でも良い。
この流れを活かし、この流れに乗って成長して行きたい。
「積み重ねる」
来年を飛躍の年にするために。今から、やりきるんだ。
2009年10月31日
「This is it.」を観てきた
> キングオブポップス
> 音楽のすべてを分かってる
> 彼のおかげでここにいる
> 彼と同じステージにいるなんて最高に素晴らしいこと(Amazing!)だ
> ポップスには珍しい完璧者だ
> 彼は完ぺきだ。ユーモアがあるし、謙虚だ
> 彼のために挑戦的なデザインをするんだ。なぜならそれが彼のスタイルだからね
> 彼のやることはいつも新しく興奮するよ
> 誰だって人生には悩むものだろ?
> 僕は方向を見つけたかった。目指すものを探していたんだ。
> それが、ここだ。(This is it.)
うろ覚えだが、出演者がマイケル・ジャクソン(MJ)を表現した言葉。
他にももっとある。
“枚挙に暇(いとま)がない”とは、このことだ。
MJがどんな人で、なにをして、何ができて…そんなことは、とっても些細なことだ。
重要なのは、MJを慕う人がものすごくたくさんいる、ということ。
それだけ多くの人に、多くの感動を与えられている人だ、ということ。
生前の彼にそれほど興味を持つ機会がなかった自分がくやしい。
彼は、偉大だ。
2009年10月30日
人を動かすのに本当に必要なものは、思いやり …魔法使いに憧れてた子供時代を思い出しながら(←現実逃避ではない...)
先日の反省から学んだもの。分かったもの。
思いやりが足りない。
ひと言でいうとそういうことだ。
いかにスムースに誘導するか。
相手に余計な負担を与えていないか。
相手の行動を促しているか。
方向性を指し示しているか。
分かりやすく進めるよう、段取りを用意してあるか。
不安無く進めるよう、後押しをしているか。
2歩先、3歩先を見極めるんだ。
1歩2歩さがって、見極めるんだ。
落とし穴がないか。迷わないか。道が途中で途切れていないか。
見極めるんだ。
見極めるんだ。
相手を自然に導かなければ、相手が自身で気づくことはない。
もちろん相手を自分の思うがままにしたいわけはない。
そんなつまらないことはしない。
なぜなら、他者は常に自分に新しい気づきを与えてくれるものだからだ。
自分の思うがままになっている他者なんて、見たくもない。
…ま、そんな心配せずとも、そんなことは出来やしないんだが。
その人の、その人らしさを引き出すようなコミュニケーションが好きなのだ。
--------------------
全く話は変わるが。
昨夜、YouTubeで「ファイナルファンタジー」の音を聴きまくった。
特に自分が子供のころのFF。
T〜Z,\はやった。(8はやらなかった。興味が湧かなかったのかな)
そのころの音楽を聴くと、もう自動的に感動してしまう。
そんな感動に浸りながら、心に響くことの素晴らしさを堪能していた。
そして思った。
魔法使いだ!
目指すイメージは魔法使いだ、と。
タイトルにも書いたが、現実逃避でもなければオカシクなったわけではない。
魔法には、それを発動させるための呪文の詠唱が必要だ。
なにか触媒となるアイテムが必要な場合もある。
これを現実に置き換えると…
魔法のようなすごい力、結果や効果、感動をつくるには、
それ相応の準備が必要だ、ということ。
必要なものをそろえて、組み立てて、徐々に積み上げて
そして発揮するのが大魔法。
魔法のような感動をつくることができるのだ。
実際の例は、ある。
ホスピタリティ世界一を言われるホテル・リッツカールトン。
そこに訪れるカスタマーは「リッツカールトン・ミスティーク(神秘性)」を体験するそうだ。
神秘的な、魔法のようなホスピタリティを実現させているからこそ、
世界中から絶賛され、見本とされるホテルになったんだと思う。
リッツカールトンと並べるのはおこがましい話だが、気持ちは間違っていないはずだ。
--------------------
まったくの偶然だが、mixiニュースで
【最も泣いたゲーム、ドラクエをおさえ1位『ファイナルファンタジー10』】
という見出しがあった。
ま、10はやっていないのだが、FFの評価が高いというのは、うれしい。
個人的には(おそらくは一番多感な時期にやっていた)FFVが好きだ。
もちろん、mrtoの時代は「ファミコン」の時代。
DSで復刻したらしいが、ファミコンのあの安っぽいドット絵が、
薄い音楽が、良かったんだよなぁ。
<ファイナルファンタジー3・悠久の風伝説>
2009年10月29日
大失敗を経て、根本的な間違えに気付いた!…すべてのことに重要ななずの「思いやり」が全然足りなかった
昨日、職場のスタッフに向けての研修を行った。
今回は準備段階でいつもよりもだいぶ力を入れた。
そもそも、研修を担当することは苦手だ。
多人数にモノゴトを伝えるのが下手なのだ。
昔から苦手意識はあったが、それでも研修を行う必要性があるので
それなりに試行錯誤した。
上司にも何度も相談したし、そもそもなぜ研修が下手なのか、
何をしていなくて、何をすればもっと良くなるのかという
相談というよりは、研修のための研修をしていただいた感じだった。
別の上位スタッフとも相談して、内容を修正していった。
で、当日を迎え実施した研修は…
お世辞にもうまくいったとは言えない内容だった。
やり方としての反省点はある。
が、そんな表面的なことではなかったのだ。
根本的に間違っていた。
同時に、なぜ自分が1対1のコミュニケーションは得意でも
多対1のコミュニケーションが苦手なのかも分かった。
今思えば、先の相談させていただいた上司や上位スタッフにも言われていたことだったが、
根本的な受け取り方を間違えていたのでそのアドバイスを活かすことができなかった自分に気付いた。
----------
まったくもって失礼な言い方になるが、今回の経験で自分にとってとても重要な気づきを得られた。
自分なりにかなり真剣に取り組み、真剣に相談してくれた同僚がいてくれたおかげの結果だ。
その上で、
根本的に自分がやりたい研修だったことに間違いはないと確信した。
矛盾しているようだが、間違いない。
では、なぜうまくいかなかったのか?
それは相手(この場合は被研修者)への「思いやり」が足りなかったからだ。
もちろん、研修を受けてくれる人のことを考えなかったわけはない。
当然だ。
ただ、
まったく足りなかった。
もっともっと、相手の身になって考える「思いやり」が必要だったのだ。
今回の件で研修担当から外されなければ、そうとうレベルアップした研修ができそうな…
気がするー。







